上越教育大学上廣道徳教育アカデミー

令和6年度上越教育大学​上廣道徳教育アカデミー​研修大会


道徳科の意義を考える


 ―学習指導要領の趣旨を踏まえて―」


分科会及びシンポジウムについて

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早川 裕隆

上越教育大学大学院学校教育研究科教授

上越教育大学上廣道徳教育アカデミー

所長

当サイトの開設について

 上越教育大学上廣道徳教育アカデミーは、令和6年8月5日に​研修大会を、新潟会場と上越会場をオンラインでつないだサテ​ラト方式で開催いたしました。

 講師に浅見哲也様、毛内嘉威様をお迎えし、新潟県内外の多​くの先生方と道徳科の意義について具体的に考える機会となり​ました。

 当日は、基調講演や講話・演習の後、各会場で分科会も行​い、参加者の皆様の経験に基づいた道徳科への思いや授業を行​う上での悩みを語り合い、解決に向けた協議を行いました。

 その後行われたシンポジウムでは、シンポジストにより分科​会での質問やフロアとの質問への応答が行われました。

 その内容が、広く多くの皆様にとっても、共通の疑問や悩み​であろうと考え、皆様の道徳科の授業づくりの一助になること​を願って、その応答の要旨を、掲載することと致しました。


シンポジウム登壇者

コーディネーター

林 泰成 

上越教育大学 学長

上越教育大学上廣道徳教育アカデミー

総括監督者 

シンポジスト

浅見​ 哲也 

十文字学園女子大学 教​授

菅原 友和

上越教育大学上廣道徳教育アカデミー

特任准教授

毛内 嘉威​

秋田公立美術大学 理事兼副​学長

丸​山 大貴

上越教育大学上廣道徳教育アカデミー​特任准教授

【分科会からの報告】

〇新潟会場 中学校部会


1 発達段階や教材の特質に応じた発問の作り方

  発問で意見が拡散したときにどうしたらよいか

  収束させるのか、拡散したままでよいのか


2 道徳科についてみんなで学ぶ機会をどう作るか


3 本音で語り合うためにICTの活用ができないか

〇新潟会場 小学校部会


1 道徳科と特別活動の関係

  道徳科で養った心情を生かせるように特別活動の

実践を意図的に組んでいくことができないか

日常生活に生かせないか

2 主体的・対話的な学びをどうやって深い学びにつな

げるか ICTを使って深い学びにつなげる方法


3 発問に対する多様な子どもの発言を大切にすると、

ねらいに迫れなくなることがある

発問が子どもの多様な考えを枠に狭めてしまうことが

ある


4 道徳科の意義を同僚に伝えるにはどうしたら

よいか

〇上越会場 小・中学校部会


1 学校生活と関わりをもって自分事として考えさせる 

  ための発問の在り方


2 教材の内容が、自分の生活や学校生活とかけ離れて

いるときに、自分事として 考えさせるために発問等

をどうしたらよいか


3 書かせる場面で、子どもに何を書かせるか(終末の

振り返り以外に)

以上3会場からの報告を受け、林コーディネーターの司会​の下、テーマごとにシンポジストの考えを伺った。

【シンポジウム】

〇発問をどうするか

発問をどうするかについて、4名のお考えを伺いたい。

道徳的価値の理解をすること

浅見 哲也 氏

発問を考えるときに大切にしていることは道徳的価値の​理解をするということ


人間理解(人間の持つ弱さ、誰もが自然に感じる思い)

→他者理解(様々な価値観を知る)

→価値理解(いろいろな価値観を知ったうえで、

 「自分は・・・」を考える )

の順で子どもたちが考えていけるように、発問を構成し​ていく。

いろいろな価値観を認めること

毛内 嘉威 氏

発問を考えるときに大切にしているのは、価値観を広げる、いろいろな価値観を認​めるということ。間違ったことを言っちゃダメということではなく、どの考えも受​け止め、認められるような広い発問が必要と考えている。

問い返しをすることも出てくるが、「なぜ」と聞いていくと、応えられなくなるこ​ともあるので、あまり問い返しはしないようにしている。また、小学校低学年で​は、善を教える。中学校では、批判的に見るということを教え、考えさせることが​大事と考えている。

人間理解を大切に

菅原

人物に寄り添うために、人間理解に関する発問を大切に考えている。登場人物が​葛藤したり、弱みを見せたりしている部分に触れさせ、そのうえで「なぜ、こう​いうことができたのか」を聞く。

さらに、問い返しを大事にしている。子どもの発言を受け、「なんでそんなふう​に考えたの?」「 もう少し詳しく」など、子どもとの対話を通して深いところに​迫りたいと考えている。

子どもが感じたこと、考えたことを大切に

丸山

どんなことを考えていたのか、どんな思いだったのかと聞くことが多い。そこに​その子の、見たり感じたりしていることが出てくると考えている。

中心発問で、「なぜ」 「彼を突き動かしたものは何か」「こうしたのはなんでだ​ろう」などと聞くことが多いが、発問の吟味が十分ではなく、追発問を繰り返し​てしまうことが多いので、さらに洗練したものにしていくことが課題である。

〇子どもの価値観の形成について

価値観を教え込むのが道徳授業ではないとしても、子どもたちの価値観形成を支援​するということが隠れたねらいとしてあるのではないかと考える。

そう考えると、 授業を評価するときに、道徳的価値の理解とともに、子どもたちに​どんな道徳的価値観が養われたのかを、現行の道徳科では評価してはいけないわけ​だが、そこを評価しないと授業として成立したと言えないような気もするが、どう​お考えか。

子どもがどの道徳的価値を大事にしていくか

浅見

道徳の内容項目は価値があるから選定されているわけで、年間指導計画の作成に​当たってはすべての内容項目を取り扱わなくてはならない。こうした指導上の留​意点には、道徳的価値をしっかり学ぶという思いも込められているわけだが、子​どもたちがどの道徳的価値を大事にしていくかは道徳的価値観の「観」にあたる​部分で、それは子どもたちに任されていると考える。

だからと言って、授業のゴールをすべて子ども任せにすればよいのかと言うと、​やはり授業にはねらいとするゴールがあるので、明確な意図をもって指導しなけ​ればならない。ここに、先生方は難しさを感じるのではないか。

多様な価値観を知ることでアップデートしていく

毛内

発問を通じて、子ども自身の価値観、子どもの背景に​ある家族の価値観など、多様な価値観を知ることで、​子どもは自分の価値観、考え方をアップデートしてい​く。そう考えると、互いの違いの意味を認め合う、尊​重し合うという姿勢が基本にないといけない。

〇分科会の質問への回答

シンポジストの皆さん、分科会の質問に答える形でご発言を。

「道徳と他の教育活動とのつながり」「 学んだことを​特活で実践する場を」という質問について

浅見

道徳科は学校行事を成功させるためにあるのではないが、道徳科の授業の後に関連​する教育活動を設けてはいけないということではない。

道徳性は、道徳科で学び、その先にある教育活動でも学び育まれていく。

内容項目の中には、日常の生活の中ではなかなか学べないようなものもある。

それは、道徳科で補充するということになる。教育活動全体で行われる道徳教育​を、道徳科は、補充・深化・統合する働きがある。道徳科と様々な教育活動を関連​付ける取組は大いに進めていただきたい。

毛内

家庭、地域、学校と連携しながら、道徳教育の場を考えていくことは大事。

各学校の重点目標との関りで、学校教育全体を巻き込んだ道徳教育の在り方を考え​ていってほしい。道徳科は道徳教育の要として、補充・深化・統合する役目があ​る。特別活動も含め、教育活動全体を通じて、道徳教育でどんな子どもを育てたい​のかを明確にして取り組んでいただきたい。

「道徳にどう関心をもってもらえばよいか」という​質問について

菅原

これまでに勤務してきた学校で実践してきたことや他校の先生が取り組まれているこ​とを紹介する。

・学年ごとに自分の学年で使う場面絵を作成、ストックして保存する。

・学年の道徳担当を中心に授業を構想し、学年で共有する。

・道徳科に関わる書籍や雑誌を学校の予算で購読し回覧して興味関心を喚起する。

・各校の道徳主任、推進教師が自校の取組を共有できるような場や機会を設定する。

・研修大会も含め、研修会に係る情報を共有したり、紹介したりする。

〇フロアからの質問と回答

小学校教員A

「ICT等を活用して、子ども​同士の議論を深める方法は?」

浅見

ICTの活用については、一番の魅力は、全員の考えを見ることができるとい​うこと。見る時間を確保して、協働的な学びにつなげるには「誰の考えを聞い​てみたいですか」と投げかけたり、全体の傾向を見て、「どんなふうに思いま​すか」と聞いたりする。端末で、共有したところが深い学びのスタート地点。​授業の後半ではなく、真ん中にここをもってくるよう、コーディネートする力​が教師には求められる。

中学校教員B

スライドにあった「道徳的諸価値の理解と自分自​身の固有の選択基準、判断基準の形成」という文​言についてもっと詳しく知りたい。

浅見

この文言は、平成28年12月の中央教育審議会の答申(これが現行学習指導要​領のもとになっている)に示されているものなので、検索していただきたい。

大学教員C

道徳科の授業を頑張ると学力が伸びると考えてい​る。それを裏付けるデータがあれば教えていただき​たい。道徳科の指導と教科の指導との関係性を見出​せなくて興味をもたない若い教員が少なくない。

浅見

数値で示されているものを私も見たことがないが、道徳科の目標に示される道徳​性の様相を育てるための学習がしっかりなされているところは学力も高い傾向に​あるということは、多くの人が感じているところ。それを数値で示すことができ​たらよいと思う。


毛内

秋田を例に出すが、徳知体と、徳を第一に考えて、道徳教育に取り組んでいる。​その中学校では、一日の振り返りや道徳の振り返りをしていて、教師がコメント​を入れて返すことを今でもやっている。

そうすると意欲が高まり、個や集団の道徳性も高まるし、 学力も向上している例​がある。道徳性が高まることで、最後まで踏ん張り、頑張ることができる。

また、聴く力を高めることに取り組んでいる学校も多く、子ども同士が話し合い​を通して、互いの意見を語り合い、どんどん考えを深めていく姿が見られる。

そして、話す、伝える力を鍛えていくことにもつながる。道徳授業や道徳教育に​取り組むことは、結果として人間教育となり、学力の向上にもつながると思う。


上越会場 


小学校教員D

自分事としてとらえる工夫はど​んなことが考えられるか。

浅見

道徳科では、すべて自我関与、自分事としてとらえることを求めている。

教材理解ではなく、自分理解にたどりつかなくてはならない。だからと言って人​間理解を意図した発問で、ここでは人間の弱さを表現することが多いので、「あ​なただったら」と聞いてしまうと、かえって自分のこととして言えなくなってし​まうことが考えられる。そこで、登場人物の名前を主語にして発問する。ただ、​ずっとその調子で聞いていくと、国語の読み取りのようになってしまう。そこ​で、道徳的価値を直接問うような発問を入れてみたり、教材文中の登場人物の気​持ちが現れているようなキーワードはなるべく入れないで、「どんな気持ちです​か」と聞いたり、「そういう気持ちってわかる?」と問い返したりして、自我関​与して考えるということを意識して発問を考えている。

毛内

道徳授業が、教材を活用して行っているのには意味がある。浅見先生が言うよう​に「あなただったら」と聞くと、かえって自分のことが言えなくなる。そこで、​教材の登場人物を主語にして発問する。道徳的価値にかかわって発問したり、 登​場人物の気持ちになりきることで、自分の考え、つまり自分事として考えて、言​えるようになる。

自分事として考えるようにするには、教材の登場人物を主語にして自我関与させ​て問うという配慮は必要である。


中学校教員E

先生方の忌避感情を打ち消すようなスパイスのよ​うなもの、知恵があれば伺いたい。

浅見

中学校の先生方は、特に道徳に関して研修する機会が少ないように見受けられ​る。 読み取り道徳のようになってしまいがちで、生徒もつまらない、教師もやり​がいを感じられないと負のスパイラルに陥っているのではないかと感じる。

中学校の先生方も定期的な研修会を行うことをお勧めする。そうした中で、道徳​授業の楽しさを知っていただくと、いろいろな工夫をされるのが中学校の先生の​よいところだなと思う。そういう正のスパイラルを生み出したい。


コーディネーターによる総括

林(総括)

研修成果をうまく活用して広めていただけるとありがたい。

総括に代えて

一つは、共感・自我関与に関して、相手の立場に立って考えたときに自分がどう ​感じるかという共感もあれば、向こうが自分に重なってきて感じる共感もある。

さらに、膝を打った時に瞬間的に痛いと感じるような痛みの共感など、いろいろな​次元の共感があると考える。道徳科では、授業の中で様々な場面で様々な形で活用​していると考える。それがどんなふうに分類できるのかを研究レベルで考えていく​のはどうか。

もう一つは、能力開発が中心になっている昨今、学力とは何かを考えていく必要 ​がある。ある学会では教科の在り方を議論していたが、そこでどの教科が重要かと​いう話になったときに、私は家庭科だと考えていた。それは、実生活にもろに重な​ってくるからであり、そんな問題も道徳との絡みで考え始めるとさらに面白いので​はと考えている。